『ふところ手して宇宙見物』と痛みの話
寺田寅彦の三十一文字に
好きなもの いちごコーヒー 花美人 ふところ手して 宇宙見物
という有名なものがあります。
私の大変お気に入りの歌で、解釈はさまざまあるでしょうけれど、極めて素人的、個人的解釈
からするとこの歌の面白さは「視点の対比」にあると思っています。
前半部では「好きなもの」いちごうまーい、コーヒーおいしーと没我状態で楽しんでいます。私はいちご好きなので同感です笑
しかし後半で「懐手して宇宙見物」という物理学者としての科学的、客観的な視点にビューンと飛びます。
好きという「主観の極み」と、科学者としての「客観の極み」を、たった三十一文字内で移動しているのが面白いと感じています。ただ、ここについては、「好き」で我を忘れて世界と一体になっている状態は、むしろ主観というよりも超主観=客観なのでは、また人間が観察者である以上、果たして客観の極みということができるのか(結局主観なのでは)と個人的には思いますし、そうなると主観と客観が入れ替わってしまうような感じもして、そこも個人的には面白さの一つだと思っています。
視点の対比、視点の極端な移動ということで、思い出したのは江戸時代に流行したと言われる「金欲し付合(かねほしづけあい)」という言葉遊びです。
ネットの検索結果の解説からいうと、どんな上の句にも繋げて世俗的な金銭欲を表現する、とあります。
わかりにくいと思いますので、有名な例を挙げますと正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」につけてみます。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 それにつけても金の欲しさよ
「それにつけても金の欲しさよ」で一気に世俗にまみれた雰囲気が立ち上がってきます。上の句として静かな俳句を持ってくれば来るほど対比の面白みが出て、全体としての面白みも出てくるのではないでしょうか。
この句は、(個人的なイメージとしては)静かな秋の夕暮れに柿を食べていたら法隆寺の鐘が鳴ったと、少し物悲しいような、とはいえ平和な大切な時間を過ごしているような感じがしますが、その後に「それにつけても金の欲しさよ」と来ます笑
なんだか柿を食べながら、はー、お金がないからこんな柿なんか食べてるけど、ほんとは派手に西洋の菓子でも食べたいなーとか思っていたんじゃないかと想像してしまいます(時代考証とかなくてすみません)法隆寺の鐘を聴いたら金を思い出したとも考えてしまいます。あー。鐘の音だ、あー金ないなーみたいな感じですね。
この付句自体は江戸時代からあったそうですが、江戸の人もこういう言葉遊びをして楽しんでいたんだなと、それを同じく令和の今でも楽しめることが嬉しいです。落語も同じですよね。
私も作ってみました。上の句が落ち着いているほど面白さが出ますので有名な芭蕉の句につけてみたいと思います。
古池や 蛙飛び込む 水のおと それにつけても 金の欲しさよ
静寂の中、カエルが水の中にぽちゃんと飛び込む音でまた静寂が際立つ雰囲気が伝わってきますが、その後に例の金の欲しさよとくると、本当は博打でもやりたいけどお金がないから古池を眺めて暇を潰すしかない、なんていうシチュエーションを想像してしまいます。
余談ですが、私が高校生の時に個別指導で勉強を見ていただいていた先生に(東大の学生さんでした)「この英文訳してみて」と提示された英文がありました。
Free care cowards to become Ms. Note.
「よし、やるぞ」と思い、どれがSVOCかなーなんてやるわけですが、どうにも訳せません。文の構造が見えてきません。単語自体は全部知っているのに分かりません。「すみません、わかりません」と白旗をあげると、先生はニヤニヤしながら「音読してごらんよ」と言います。訳もわからずに、何度もフリーケアーカワーズトゥービカムなんてやっていますと、あー古池やか、なんだ英語じゃないのかと、先生も「ごめんごめん」とニヤニヤしながら言ってました。この話を思い出して、Geminiにこの英文を解釈してくださいと聴いたところ、一瞬で解かれてしまいました。これも英語と日本語の視点の移動といえば移動ですね。
毎度のことながら話がだいぶそれてしまいました。
「懐手して宇宙見物」というスタンスは歯科と無縁とも言い難く、歯科で言えば最大と言っていい関心ごとである「疼痛(慢性疼痛)」と関係があります。
慢性疼痛を悪化させる最大の要因の一つに「破局的思考」(この痛みは永遠に続いてしまうのだろうか、もう社会生活には戻れないんじゃないか、などなど)があります。
「宇宙見物」というマクロで客観的な視点を持つことは、認知行動療法などで用いられる「脱中心化」に相当すると考えます。自分を「痛みに完全に支配された存在」としてではなく、「神経に痛みという現象が起きている状態を、少し離れたところから観察している自分」へと切り離すことで、破局的思考へと向かう脳の暴走を抑制する効果があると言われています。実際に脳科学の研究でも、痛みを客観視することで、不安や恐怖などの情動を司る脳の領域(扁桃体など)の過剰な反応が抑えられ、痛みをコントロールしやすくなることが分かっています。
好きに没入するのはいいものですが、痛みに没入してしまうと大変なことになってしまいます。歯そのものの治療が大事なのはいうまでもありませんが、痛みに対する態度、とらえかたも重要だということです。これは歯科だけではなく全身にも言えることだと思います。
歯科医院のブログですので、歯科へのこじつけ感が否めませんが笑、皆様の何かの参考になればと思います。
